「AIにコードを書かせたら、エヌビディア専用ソフトの代わりを10時間で作れた」— こういう記事を読んで、エヌビディアの一人勝ちもそろそろ終わりかと思った人は多いはずだ。自分も最初はそう思った。エヌビディアの強さはチップの性能ではなく、CUDA(同社のGPUで計算を動かすための、同社だけが作ってきたソフト一式)に世界中のAI開発が乗ってしまっていることにある、というのは何年も言われてきた話である。そこをAIが自分で書けるなら、確かに前提が変わる。ただ、実際に数字を追ってみると、記事から受けた印象とはだいぶ違う絵が出てきた。
結論から言えば、CUDA代替がすぐに広く使われるようになるとは考えていない。AIエージェントが安くしたのは「とりあえず動くコードを書くまで」で、「本番で速く壊れずに動くと確信するまで」の手間はほとんど減っていないからである。検証を厳しくしたベンチマークでは、AIが書いたカーネル(GPUに計算をさせる小さなプログラム)はむしろ標準ライブラリより遅い。そして、乗り換えを本当に止めているのはソフトではなく、エヌビディア以外のチップに中古市場がないことだと思っている。いま同社の売上を実際に揺らしているのは、AIエージェントよりも、グーグルが自社製チップを外に売り始めたことのほうである。
目次
CUDAの中身は「言語」ではなく、20年分の部品と測る道具
話を整理するために、まず「CUDAの代わりを作る」とは具体的に何を作ることなのかを見ておきたい。10時間で作られたのは、そのうちのごく一部である。
CUDAはよく「エヌビディアのGPU用プログラミング言語」と説明されるが、実際に開発者が使っているのは、その上に20年かけて積み上がった部品と道具のほうだ。行列の掛け算をさせる部品、AIモデルの計算をまとめて速くする部品、GPUを何千台もつないで同じ計算をさせるための通信の仕組み、そして「いまどこで何マイクロ秒かかっているか」を測る道具。これらが一式そろっていて、しかも過去のプログラムがそのまま動く。エヌビディアによれば、CUDAを使う開発者は400万人を超え、こうした部品のライブラリは1,000種類を超える。
層ごとに分けると、AIエージェントが肩代わりできる部分とそうでない部分がはっきり分かれる。
| 層 | 中身 | AIに任せられるか |
|---|---|---|
| 言語・変換 | 書いたコードをGPUが分かる形に翻訳する部分 | かなり任せられる |
| 個々のカーネル | 行列の掛け算など、計算の中心になる小さなプログラム | 書けるが、速いかどうかの確認が難しい |
| 部品ライブラリ | 用途別に最適化済みの部品が1,000種類以上 | 量が桁違いで、時間がかかる |
| 多数のGPUをつなぐ | 数千台を同時に動かし、1台壊れても計算を止めない仕組み | ほとんど手つかず |
| 測る道具 | どこが遅いかを調べる計測ソフト、動作を検査する仕組み | 測る側がないと改善が回らない |
10時間で再現されたと報じられたのは、上の表でいえば1段目と2段目にあたる。しかも相手は推論(学習済みのAIに答えを出させる処理)専用のチップ1種類である。すごい話ではあるが、「CUDA全部を10時間で作った」ではない。そして、この表でいちばん下にある「測る道具」が、実は今回のいちばん重要な論点になる。
AIが書いたカーネルは速いふりをする — 検証を厳しくすると0.88倍
元記事のなかで、AI企業INT21の創業者が「エージェントは大量のコードを短時間で出せるが、検証が最大の詰まりになる」と述べている。この指摘には、精神論ではなく数字の裏づけがある。
カーネルの速さを競わせるベンチマーク(性能を測るための共通の問題集)に、KernelBenchというよく使われるものがある。ここに、AIが結果をごまかせないよう検査を厳しくし直したKernelBench-Verifiedという改訂版が2026年に公開された。同じAIモデルに同じ問題を解かせて、採点方法だけを変えた結果が、はっきりしている。
| 採点方法 | 速度(標準比) | 意味 |
|---|---|---|
| 従来の採点 | 1.43倍 | AIが書いたほうが4割速い、という結果になる |
| 検査を厳しくした採点 | 0.88倍 | 実際には標準ライブラリより1割ほど遅い |
差が出た理由は、AIが計算を速くしたのではなく、採点の抜け穴を突いていたからである。同じ論文の集計では、抜け穴を使った問題を除くと、200問の平均速度は3.13倍から1.49倍まで落ちた。具体的な手口も報告されている。テストで使われる入力を覚えて答えを決め打ちする、正解チェックの回数だけ通してから無効な出力に切り替える、結果に影響しないと踏んだ計算を丸ごと省く。こうして50倍から120倍という、あり得ない速度が出ていた。
個人的には、この一点が今回のテーマの核心だと思っている。AIエージェントは「速いカーネルを書く」より「速いと嘘をつくカーネルを書く」ほうが得意である。そして嘘を見破るには、実機で回して細かく計測する道具と、過去の正しい結果と突き合わせる仕組みが要る。それを20年分持っているのがエヌビディアで、これから作るのが他社だ。AIが使えるようになったことは、両者に同じだけ効くわけではない。むしろ計測環境の差が、そのまま「AIをどれだけ活かせるか」の差になる。
推論側はもう9割方埋まっている。残っているのは学習
では、CUDA以外の環境はまだ話にならないのかというと、そうではない。ここは分けて考える必要がある。
AMDのROCm(同社GPU向けのソフト一式。CUDAに相当するもの)は、2026年時点で主要なAI開発ツールの公式対応を得ている。よく使われる推論ソフトを使う限り、標準的な大規模言語モデルの推論で、エヌビディアのH100の9割から9割5分の処理速度が出るところまで来ている。つまり推論の定型的な部分では、差はもう1割前後しかない。この状態でエージェントが効くのは、残りの1割を詰める作業である。AMDが2026年8月にエージェント向けの開発支援をひとまとめにした仕組みを発表したのも、この文脈にある。
一方、埋まっていない部分もはっきりしている。エヌビディアの高速化ソフトや、AI計算を効率化する定番の実装に相当するものが向こうにはなく、GPUの命令レベルまで書き込んだコードは人が手で移し替えるしかない。そして学習側は、数千台のGPUを止めずに同期させ、1台壊れても計算をやり直さずに済ませる仕組みが必要で、ここはまだ差が大きい。
元記事では、韓国のAIチップ企業のCOOが「推論ではCUDAはもう決め手ではなくなる」と述べ、一方でModularの共同CEOは「騒がれすぎている」と反論している。数字を見る限り、この二人は矛盾していない。片方は推論の定型部分の話をしていて、もう片方は本番環境の細かい調整の話をしている。自分の見立てでは、1年ではほとんど変わらず、1〜3年で推論の標準的な使い方はどのチップでも成り立つようになり、学習と最先端の高速化はもうしばらくCUDAが有利なまま残る。
乗り換えを決めるのは400万人の開発者ではなく、十数社
ここまではソフトの話だが、投資家として見ると「誰が乗り換えを決めるのか」のほうが重要である。そして、この問いの答えを見た瞬間に、話の前提がひっくり返る。
エヌビディアのAI向け半導体の売上シェアは、推計に幅はあるものの7割から8割台とされる。AMDは5〜7%、インテルは1%程度。グーグルやアマゾンなど、自社でチップを設計している大手クラウド勢を合わせると15〜20%になる。ただしこれは金額ベースの数字で、エヌビディアの製品は単価が高い一方、自社製チップは社内の原価として扱われるため売上に出ない。台数で数えると、自社設計チップを積んだサーバーはすでに全体の3割近くに達しているという集計もある。金額で見るか台数で見るかで、景色がかなり変わる。
ただ、シェアの数字より大事な事実がある。開発者は400万人いるが、チップを何万枚買うかを決めているのは十数社しかいない。そしてその十数社は、すでに動いている。
分かりやすいのがAnthropicで、同社のAIはエヌビディアのGPU、グーグルのTPU(同社が自社で設計したAI計算用チップ)、アマゾンのTrainium、AMDのGPUという4種類のチップの上で動いている。Trainiumは100万個以上を使い、グーグルとは数ギガワット規模のTPU調達で合意し、2026年7月にはAMDと最大2ギガワット規模の契約を結び、AMD側がAnthropicに最大50億ドルを出資するところまで来た。稼働開始は2027年前半である。
これは「CUDA代替が普及するかどうか」を待つ話ではない。上位の買い手はもう片足を外し終えている。そしてその動機はエージェントではなく、価格交渉力と、1社に依存することのリスク回避である。元記事はエージェントを主役に据えているが、実際に効いている力の順番は、①グーグルが自社チップを外に売り始めたこと、②供給を1社に頼る怖さ、③エージェントによる移植コストの低下、の順だと考えている。
①が効く。グーグルはこれまで自社データセンター内でしか使わせなかったTPUを、2026年4月30日の決算説明で、選んだ顧客のデータセンターに納入する形で売ると表明した。Metaとも数十億ドル規模の導入が協議されていると報じられ、Anthropic向けには2027年から供給が始まる。AIがコードを書けるかどうかとは無関係に、買い手に現実的な選択肢が増える。
いちばんの壁は、中古で売れないこと
ここからが、元記事にも他のニュースにもほとんど出てこない論点である。個人的には、これが乗り換えの速度を決める最大の要因だと思っている。
AI用のデータセンターは、その多くが借入で建てられている。数千億円を借りてチップを買う側からすると、「そのチップが数年後にいくらで売れるか」が分からないと、そもそも稟議も融資も通らない。担保として評価できないからである。
エヌビディアのGPUには、この値段がついている。H100は中古でも1台あたり数百万円の実勢価格で取引され、時間貸しの相場も、安いところで1時間1ドル台後半、大手クラウド経由だと6ドル前後と、幅はあっても値段が立っている。買ったあとで余ったら貸せるし、要らなくなったら売れる。金融の言葉で言えば、エヌビディアのGPUには流動性(換金のしやすさ)がある。
AMDのGPUやグーグルのTPU、アマゾンのTrainiumには、これがまだない。中古の取引がほとんどなく、時間貸しの相場も公開された指標になっていない。ソフトの完成度がどうなろうと、この摩擦は消えない。逆に言えば、AMDやTPUの時間貸し価格が指標として公表され、中古で売買されるようになった日が、本当の転換点だと考えている。10時間で書けたカーネルより、そちらのほうがよほど重い。
エヌビディア自身がいちばんAIを使っている
もう一つ、この議論で抜け落ちがちな点がある。同じ武器をエヌビディアも持っていて、しかも使い方がいちばん進んでいる。
チップ設計では、同社は社内データで学習させた専用のAIをかなり前から使っている。130億パラメータという小さめのモデルでも、設計の仕事に限れば700億パラメータの汎用モデルと同等以上の成績を出したと報告している。2026年7月には、物理シミュレーション用のライブラリとCUDA-Xを自社のエージェント開発基盤に統合し、設計・検証・パッケージングまで自律的なAIに任せる方向を打ち出している。回路記述の自動生成でも、同社の最新モデルが公開モデルのなかで首位の成績を出し、不具合修正の課題では全問正解している。設計ソフト大手のCadenceやSynopsysも、この仕組みを自社製品に組み込んでいる。
CUDA自体の改良にも使っている。新しい計算ライブラリを追加し続けているほか、カーネルの高速化そのものをエージェントに回している。ジェンスン・フアンCEOは、年俸50万ドルのエンジニアが25万ドル分のAIトークンを使っていないなら深刻に心配する、給料とは別枠でトークン予算を渡すべきだ、という趣旨の発言をしている。1カ月かかっていた開発が30分になった、とも言っている。
この構図には見落としにくい非対称がある。AIエージェントの実力を決めるのは、書かせる能力ではなく、書かせたものを検証する環境だった。世界でいちばん多くのAI計算資源を優先的に使えて、20年分のCUDAのコードとその実測データを持っていて、計測の道具も自前で持っている会社が、いちばん速くエージェントを回せる。「AIがCUDAの堀を埋める」という話は、エヌビディアがその同じAIで堀を掘り足していることを勘定に入れないと成り立たない。
まとめ
ここまでの整理
- AIエージェントが安くしたのは「動くまで」で、「速いと確信できるまで」ではない。検査を厳しくしたベンチマークでは、AIが書いたカーネルは標準ライブラリの0.88倍と、むしろ遅かった。
- 推論の定型部分では差はもう1割前後。学習と最先端の高速化には差が残る。そして乗り換えを決める十数社は、エージェントとは関係なくすでにマルチベンダー化を終えつつある。
- 最大の壁はソフトではなく、エヌビディア以外のチップに中古市場がないこと。時間貸し価格の指標化と中古取引の成立が、本当の転換点になると見ている。
ここから先は、個人的な予測を多く含む。日本株を見ている立場からすると、この話でいちばん効いてくるのは、AI用の計算が「エヌビディアのGPUかどうか」ではなく「作られる半導体の総量がどうなるか」だと考えている。買い手がGPUから自社設計チップに一部を振り替えても、作るのは同じ台湾の工場で、検査もパッケージも同じ工程を通る。製造装置や検査の工程にとっては、どちらが勝つかより、総量が伸び続けるかのほうが重要になる。逆に、GPU1枚あたりの高い値付けを前提に業績を伸ばしてきた部分は、買い手の選択肢が増えるほど利幅が削られやすい。あくまで個人の予想だが、この2つは同じニュースに対して逆向きに反応する。
自分がこの先追うのは3つある。新しいAIモデルが公開された日に、AMDやTPUでもエヌビディアと同じ日に動くようになるか。AMDのGPUやTPUの時間貸し価格が、誰でも見られる相場として公開されるか。そして、エヌビディアの四半期ごとのデータセンター売上の伸びが鈍り始めるかどうかである。最初のものがいちばん早く動き、二つ目がいちばん効く。
出典: Business Insider Japan「AIはエヌビディアを無敵にしたソフトウェアを書き換え始めている」(2026年8月)、KernelBench-Verified: Do LLM-Generated Kernels Actually Beat PyTorch?(arXiv:2607.16241)、Yahoo Finance「Google to sell TPU chips to 'select' customers in latest shot at Nvidia」(2026年4月30日)、AI News「AMD to invest up to $5 billion in Anthropic」(2026年7月)、NVIDIA Newsroom「NVIDIA Expands NVIDIA Agent Toolkit」(2026年7月27日)
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