2026年6月12日の夕方(米東部時間)、米政府の命令で、Anthropicが3日前に出したばかりの最新AIモデル「Claude Fable 5」が、日本を含む世界中で使えなくなった。命令の対象は米国民以外の全員で、Anthropicは米国内の利用者も含めて提供を止めた。米国のAIの輸出統制は、GPU(AIの計算に使う半導体)から、クラウド経由の計算能力、そしてモデル本体へと対象を広げてきた。最先端のモデルを使えるかどうかの差は、まずソフトウェア開発の速さに表れ、数年かけて製造、設計、経営の判断へと広がっていくと見ている。オープンモデルや各国の自前の計算基盤で差の一部は埋められるが、米国の企業が有利な状況は当面続く。
目次
6月12日に米国民以外に使えなくなった最新のAIモデル
米Anthropicは6月9日に「Claude Fable 5」と「Claude Mythos 5」を発表した(発表文)。2つは中身が同じモデルで、安全のためにかける制限だけが違う。Fable 5は発表の日から誰でも使え、サイバー攻撃に関わる制限を外したMythos 5は、同社がGlasswingと呼ぶ提携先に限って提供された。
3日後の6月12日午後5時21分(米東部時間)、米政府はAnthropicに、米国民以外の利用を禁じる命令を出した(Anthropicの声明)。米国の外にいる人だけでなく、米国内にいる外国籍の人や、Anthropic自身の外国籍の社員も対象だった。Anthropicは、命令に従うには全利用者への提供を止めるしかないとして、2つのモデルを止めた。
政府は国家安全保障の権限を根拠に、Fable 5の安全機能をすり抜ける方法(ジェイルブレイク)を把握したとしたが、懸念の具体的な中身は示さなかった。Anthropicは、見つかった弱点は比較的単純なもので、公開されているほかのAIモデルでも見つけられると反論した。6月26日には商務省が、米国の約100の企業・機関にMythos 5の利用を認めた。この記事を書いている6月28日の時点で、Fable 5は止まったままだ。
Anthropicのほかのモデル(Opus 4.8など)や、OpenAIやグーグルのモデルは使い続けられた。ただ、Fable 5が得意とした長時間の自律的な作業や大規模なコードの書き換えでは、代わりのモデルとの性能の差がはっきりあった。業務の流れにFable 5を組み込んでいた金融、医療、クラウド型ソフトウェアなどの企業は、予告なしに中心のAI機能を失った。
個人的に一番重く見ているのは、特定のAIモデルの利用を輸出管理の権限で止めた最初の例になったことだ。これまでの規制は、GPUの輸出が中心だった。半導体の規制が「工場の機械を売らない」ことなら、モデルの規制は「できあがった製品を使わせない」ことに近い。しかも対象は中国やロシアに限らず、日本を含む米国民以外の全員だった。
規制の対象は半導体からクラウド、モデルへ
今回の停止は突然に見えるが、米国のAIの輸出規制を時系列で並べると、対象が一段ずつ広がってきた流れの上にある。
半導体の輸出規制(2022年〜)
出発点は2022年10月、バイデン政権が中国向けの先端半導体と製造装置の輸出を大きく制限したことだった。NVIDIAのA100やH100といったAIの学習用の高性能GPUが対象になり、中国のAI開発を直接抑える狙いがあった。
AI拡散ルール(2025年1月、施行前に撤回)
バイデン政権は退任直前の2025年1月13日、「AI拡散ルール」と呼ばれる規制を発表した。世界の国を3つの階層(Tier)に分け、AI用の高性能半導体の輸出を階層ごとに管理する仕組みだった。
| 階層 | 対象国の例 | GPU輸出の扱い |
|---|---|---|
| Tier 1(18カ国) | 日本、英国、豪州、カナダ、韓国、台湾、欧州の主要国 | 原則自由。数量の上限なし |
| Tier 2(大多数の国) | シンガポール、インド、UAE、サウジアラビア、イスラエル、ポーランドなど | 2027年までの累計でH100換算約5万基が上限。認定を受けた利用者には追加の枠 |
| Tier 3(禁輸国) | 中国、ロシア、イラン、北朝鮮、ミャンマーなど | 事実上の全面禁輸 |
米国に本社を置くクラウド企業が認定を受ける場合は、計算能力の50%以上を米国内に置き、Tier 2の1カ国に置く分は7%以下にする条件も付いていた。トランプ政権はこのルールが効力を持つ前の2025年5月13日に撤回し、国ごとの個別の取引で管理する方針に切り替えた。同じ5月にはUAEやサウジアラビアと、AI用半導体の大口の取引をまとめている。
クラウド経由の利用も対象に(2026年1月、法案が下院を通過)
2026年1月12日、米下院は「リモートアクセス・セキュリティ法案」を369対22で可決した。GPUを国外に出さなくても、外国人がクラウド経由で米国内の高性能GPUを使えば、計算能力を事実上輸出したとみなす考え方で、国家安全保障上の重大なリスクがあると商務長官が判断したときに規制できるようにする。上院では委員会に送られたままで、6月28日の時点で法律にはなっていない。
同盟国向けも許可制にする草案(2026年3月)
3月5日には、NVIDIAやAMDのAI用半導体を世界のどこに出荷する場合でも米政府の許可を求め、20万基を超える大口の取引では相手国政府の約束も求める規則の草案を、ブルームバーグが報じた。商務省は、バイデン政権のような規則は出さないとして報道を否定している。
AIモデル本体の停止(2026年6月)
そして6月12日のFable 5の停止で、規制の手は半導体からクラウドの計算能力、AIモデルへと、AIに必要なものの全体に届いた。半導体を止めても中国は独自に開発を進め、クラウドを止めても抜け道が出てくる。それならモデルそのものを止める、という方向に進んだと見ることができる。
減らない計算の需要と、米政府が選ぶ置き場所
輸出規制が強まっても、世界全体でAIの計算に使う半導体の需要は減っていない。変わりつつあるのは、どこで計算するかを米政府の許可が左右するようになったことだ。
伸び続けるNVIDIAの業績
NVIDIAが5月20日に発表した2027会計年度第1四半期(2026年2〜4月)の売上高は816億ドル(6月下旬のレートで約13兆円)で、前年同期より85%増えた。データセンター部門だけで752億ドル(92%増)あり、5〜7月期の売上高の見通しは910億ドルとさらに増える。規制で一部の顧客が買えなくなっても、それを上回る注文が米国内と同盟国から入っている。この利益が品薄で膨らんでいる面については、5月末の記事で書いた。
計算資源の置き場所は許可しだいに
撤回されたAI拡散ルールは、米国のクラウド企業に計算能力の半分以上を国内に置かせる設計だった。撤回の後も、どの国にどれだけのGPUを出すかは、米政府が国ごとの取引と個別の許可で決めている。3月に報じられた草案や下院を通った法案が形になれば、同盟国に置く計算資源も、米政府の判断で増減することになる。米国内では、電力の需要を押し上げるほどのデータセンターの建設が続いている。
自国の計算基盤をつくる動き
こうした状況を受けて、各国は自国内にAIの計算基盤を持つ「ソブリンAI」(AI主権)の投資を進めている。日本でも2月12日に、内閣府と経済産業省の「AI・半導体ワーキンググループ」が初会合を開き、国内の計算基盤の整備を話し合っている。ただ、高性能GPUを買えるかどうかは米国の許可しだいで、自国で計算するとしても、何を使って計算するかの段階で米国への依存は残る。
米国と日本のAI投資は100倍以上の差
トップのAIモデルの性能では、米国と中国が並んでいる。スタンフォード大学のAI Index 2026によると、2026年3月時点で、米国のトップ(Anthropicのモデル)と中国のトップの差は2.7%だった。一方、民間のAI投資額では、2024年に米国が1,091億ドルだったのに対し、日本は9.3億ドルと100倍以上の差があった。2025年には米国が2,859億ドルに増え、中国(124億ドル)の23倍になっている。
| 比較項目 | 米国 | 日本 |
|---|---|---|
| 民間AI投資額(2024年) | 1,091億ドル(約16.5兆円) | 9.3億ドル(約1,400億円) |
| 最先端モデル | 多数(Anthropic、OpenAI、グーグル、Metaなど) | 自国で開発した世界トップ級のモデルはない |
| GPUの調達 | 制限なし | 数量の上限はないが、輸出の許可は米政府が握る |
民間AI投資額はAI Index 2025年版。円換算は2024年の平均レート(1ドル=約152円)。
同じ国に集まる投資と人材
投資が集まる国にAIの人材が集まり、人材が集まる国にさらに投資が集まる。最先端のモデルを使えない国で起業すると不利になるので、モデルへのアクセスが制限されると、この流れはさらに強まる。
性能の差はソフトウェアから製造、設計、経営へ
ここから先は、現時点の事実に加えて個人的な予測を多く含む。最先端のAIを使えるかどうかの差が、ソフトウェア産業を越えてどこまで広がりうるかを、時間の順に考えてみる。
第1段階: ソフトウェア開発(すでに進行中)
Fable 5クラスのモデルは、数時間にわたって自分でコードを書き進めたり、数万行のコードの構造を整理し直したりできた。米国のITサービス大手コグニザントは1月の報告書(New Work, New World 2026)で、いまのAIでも、米国で人が担っている仕事のうち4.5兆ドル分をこなせ、職業の93%に影響が及ぶと推計した。古い世代のモデルでは人が途中で何度も手を入れる必要があり、同じ作業に数倍の時間がかかるので、米国のスタートアップが3人でつくれるものを、ほかの国の企業は10人でつくる、という状況も起こりうる。人件費でも開発の速さでも、米国のソフトウェア企業が有利だ。
第2段階: ロボットへの波及(2〜3年後)
産業用ロボットの世界の年間設置台数は、国際ロボット連盟(IFR)の集計で2024年に54.2万台と、4年続けて50万台を超えた。IFRは2026年の主な潮流として、AIによる自律化、工場の制御システムと情報システムの統合、人型ロボットの実用化などを挙げている。ロボットの賢さを決めるのはAIモデルの性能で、最先端のAIを載せたロボットは、見たことのない部品でも形を見分けてつかみ、知らない場所でも動く経路を決められる。性能の劣るAIしか使えなければ、ロボットの柔軟さと信頼性に差が出る。
第3段階: 製造業の競争力の差(3〜5年後)
ロボットの差は、製造業の競争力の差につながる。製造ラインの調整、品質検査の自動化、故障の予兆をつかんで先に直す予知保全の精度は、どれも使えるAIモデルの性能しだいだ。ロボットで人件費が下がれば、工場を先進国に戻す動き(リショアリング)が起こりうる。そうなると、賃金の安さを強みに輸出で成長してきた国は、AIとロボットが十分に安くなった時点でその強みを失う。
第4段階: 設計と経営の判断(5〜10年後)
製品や建物の設計、材料の開発、半導体の回路設計、自動車の電子制御ユニットの設計、航空機の構造の最適化、新薬の分子の設計では、AIが設計者や研究者を助ける動きがすでに始まっている。最先端のAIを使える側は成果までの時間を縮められ、数年後にはその分だけ競争力のある製品を先に出せる。さらにAIがデータから経営の判断材料を引き出せるようになれば、部品の調達網の組み方、需要の予測、M&A(企業の合併・買収)の候補選び、競合の分析でも、よいAIを持つ企業ほど速く正しく決められる。
個人的に一番気になるのは、この段階だ。ソフトウェアやロボットの差は、まだ「速さの差」で済む。設計の品質や経営の判断の差は、追いつくのが難しい「質の差」になる。モデルの点数の差が数%でも、それが製品の歩留まりや燃費、安全性の差として表れれば、市場での競争力は大きく変わる。
日本の立ち位置と、投資家としての見方
日本は撤回されたAI拡散ルールでも最優遇のTier 1で、GPUの調達に数量の上限はなかった。米国の同盟国として有利な位置にいるはずだったが、Fable 5の停止では日本の利用者も一律に止められた。GPUで優遇されていても、モデルの規制からは守られない。
GPUの規制とは性質が違うモデルの規制
GPUの輸出規制は、自分でAIをつくる力を抑えるものだ。GPUを買える日本は、自国でモデルを学習させる道を閉ざされていない。ただ、日本で開発したモデルは日本語の処理に強みがあるものの、汎用の推論やコードを書く力ではFable 5に大きく届かない。モデルの規制が入ると、この差がそのまま使える道具の差になる。高性能なパソコンを持っていても、最新のOSやアプリを入れられない状態に近い。
オープンモデルという選択肢
Fable 5の停止と前後して、カナダのCohere、中国のMoonshot(月之暗面)とZhipu(智譜)が、コーディング向けのオープンウェイトのモデル(中身を公開し、誰でも自分のサーバーで動かせるモデル)を相次いで公開し、企業がすぐに切り替えられる代わりの候補になった。自前のサーバーで動かせるので、米国のモデル規制の影響を直接は受けにくい。
ただ、オープンモデルの性能は、非公開の最先端モデルに一歩遅れることが多い。開発に数億ドルかかるモデルは、まず非公開で提供して収益を上げ、古い世代を後から公開するのが主な流れだからだ。1〜2世代前のモデルを使える状態と、いまの最先端を使える状態の差は小さくない。
有利になる米国の企業と、組み合わせで対応する日本
投資家として見ると、今回の停止は、NVIDIA、Anthropic、OpenAI、グーグル、Meta、マイクロソフトといった米国のAI企業の立場をさらに強める。米国の外の企業は、最先端のAIを使えないかもしれないという不安を抱えながら競うか、オープンモデルで代わりを探すか、自国でモデルを開発するかを選ぶことになり、どの道でも米国勢より不利な条件は残る。中国のモデルは米国のモデル規制の外にあり、トップの差も2.7%まで縮んでいる。米国の規制が、中国より先に同盟国の利用者を不便にする場面も出てくる。
日本が取れる対応は、組み合わせになると考えている。一つは、オープンモデルを使いながら、自国のモデルの開発にも投資を続けること。もう一つは、製造業やロボットの現場の知識とAIを組み合わせて、「使い手」として強みを出すことだ。AIの性能だけでは、工場の現場の知識は置き換えられない。同盟国として、モデル規制の適用除外や早めの利用を米国と交渉する道もある。
まとめ
輸出規制の対象になったAIモデルと、使えない国に開く差
6月12日のFable 5の停止で、米国の規制は半導体、クラウドの計算能力に続いて、AIモデル本体に届いた。計算の需要は世界全体で伸びているが、どこに計算資源を置けるかは米政府の許可しだいになりつつある。最先端のAIを使えるかどうかの差は、ソフトウェア開発の生産性から始まり、ロボット、製造、設計、経営の判断へと段階的に広がりうる。
この先確かめたいのは、Fable 5が米国民以外にいつ、どんな条件で戻るか、リモートアクセス・セキュリティ法案が上院を通るか、3月に報じられた半導体の輸出の許可制が規則になるかの3つだ。8月下旬のNVIDIAの5〜7月期決算では、データセンター部門の売上が見通しどおり伸びたかと、地域ごとの売上の内訳を見る。米国のAI企業の稼ぐ力はさらに強まると見ているが、日本の製造業がこの差をどこまで埋められるかは、5年、10年の単位で見ていく必要がある。
※本記事は公開情報に基づく情報整理であり、個人の見解を含みます。特定の銘柄の売買や投資を推奨するものではありません。投資判断はご自身の責任においてお願いいたします。